いなほ1号

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  青々と広がる麦畑。成長の早さに驚きます。黄金色に変化したときが、これまたきれいで見とれてしまいます。

 

  おはようございます。この冬、受験生だった甥っ子、姪っ子がいました。春になり、それぞれの道を進んでいます。おばは、はらはらしながらも二人の未来を応援しているところです。

 

  私も、一年間浪人生活を送っていました。新潟市の予備校に通っていたので、気持ちがざわついてくるとレインボータワーに乗り空から町の様子を眺めていました。今は無くなってしまいましたが、虹色の高い塔に遊園地の乗り物のような動く展望台が付いていて、くるくる回りながらてっぺんまで行けました。高い所、落ち着くんですよね〜。

 

  成人してインドに行くようになったのも、予備校の先生の影響です。「インドの農村では、地面から人の顔が出ている。スイカだと思ったら、人間の頭だった。修行している人達が、体を土に埋めているのだ。合格したら是非インドに行きなさい」…単純な私は、これはもう行くしかないと、本当に行ってしまいました。

 

  ひとり旅を始めたのも、浪人時代です。予備校のある新潟駅のホームに着くと、毎朝「いなほ1号青森行、発車しまーす!」というアナウンスが流れていたのです。この電車に乗って青森に行ってしまいたい…ふさぎ込んでいた私は、いつしか青森への逃亡を夢見るようになりました。そしてある日、子供の頃からの貯金と共にいなほ1号に乗り、青森へ向かったのでした。特急から見る日本海の青かったこと。青森に着いてからは、寝台列車で帰ってくるという、ただ行くだけの旅だったのですが…。

  これがきっかけとなり、ひとりで知らない土地に行くことが好きになって今でも続いているのですから、わからないものですね。

 

  お前は勉強していたのか?と突っ込みたくなりますが、なんとか春には合格しました。進学先の大学でインドを一緒に旅する友達に出会うのでした。

  辛かった浪人時代のはずなのに、思い出すのは笑ってしまう出来事ばかり。思い通りにならなくてもいいことあるから、と甥っ子達に伝えたいです。

 

今日もありがとうございました。